カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第3回

教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の、四旬節を機会とした小さな黙想の第3回目をおおくりする。

 復活祭をふさわしく迎えるための準備期間であるこの四旬節、教皇付き説教師ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿は、バチカン・ニュースの企画のために、短い黙想を6つ用意した。

 今回はその黙想の第3回目をおおくりする。

 カンタラメッサ枢機卿はこの回で、イエスが死んだラザロを生き返らせるエピソードの中で、ラザロの姉妹マルタに言った「信じるか」(ヨハネ11,26)という言葉を観想すべき言葉として示している。

 マルタと姉妹マリアの兄弟ラザロは病気で死に、イエスが彼らのところに来た時には、すでに墓に葬られて4日もたっていた。イエスは「あなたの兄弟は復活する」とマルタに言い、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と尋ねられた(参照 ヨハネ11,17-27)。

 カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第3回目の内容は次のとおり。

**********

 今日噛みしめる言葉は、イエスがラザロの姉妹に向けて、死んだ兄弟の墓の前で言った「信じるか」(ヨハネ11,26)という問いです。

 あなたがカテキズムで覚えたことや、「信徒信条」で繰り返し唱えていることを、すべて一瞬脇に置いてください。

 そして、あなたと神しかいない、秘密の場所に入ってください。そして、自分に尋ねてみてください。「わたしは信じているか」と。

 わたしは本当に信じたことがあるのか。誰かや、普遍の教会を介してだけでなく、自ら信じたことがあるのか、と。

 聖パウロは、「人は心で信じ、口で公に言い表す」と記しています(参照 ローマ10,10)。わたしの信仰告白は、心の奥底から来ているでしょうか。

 信仰は新しい地平を開きます。それは、「自分は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」という、人間の最も重要な問いに、唯一誠実な回答を与えることができるものです。

 電子の時代、それはわたしたちにこれまでにない信仰のイメージを見せてくれます。それはインターネット接続のイメージです。

 グーグルのページを開けば、あなたはもうつながっています。バーチャルな全世界があなたの前に開きます。これと似たようなことが、信仰によって得られます。回線も要らなければ、コストもゼロです。短い祈りで、心の単純な動きで、机の上にあるキリストの御絵を見つめるだけで、あなたはもうつながっているのです。

 つながるのはバーチャルな世界ではありません。現実の世界です。それは唯一、真に現実のものです。なぜなら永遠だからです。それは神の世界です。

 試してみてください。わたしが言うことが本当であるかがわかるでしょう。

23 2月 2024, 16:22