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サルヴァトーレ・フィジケッラ大司教 2024年8月23日 イタリア・リミニでの交流イベントで サルヴァトーレ・フィジケッラ大司教 2024年8月23日 イタリア・リミニでの交流イベントで 

フィジケッラ大司教、2025年の聖年について語る

福音宣教省・世界宣教部門・副長官フィジケッラ大司教は、イタリア・リミニで開催された交流イベントで、2025年の聖年の意義を語った。

 教皇庁福音宣教省・世界宣教部門の副長官、サルヴァトーレ・フィジケッラ大司教は、イタリア・リミニで開催された交流イベント「市民間の友情のためのミーティング」(通称:ミーティング・リミニ)に出席した。

 フィジケッラ大司教は、このミーティングで「聖年2025」と題されたパネルディスカッションに参加。教皇フランシスコが勅書『スペス・ノン・コンフンディト』をもって布告した2025年の聖年がもたらすものを、「希望」と「赦し」の二つの観点から説明した。

 聖年の勅書の『スペス・ノン・コンフンディト』という表題は、「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5,5)という使徒聖パウロの言葉から取られている。

 また、来る聖年は、「希望の巡礼者」をテーマに掲げている。

 フィジケッラ大司教は、「希望なしでは、人生の本質をつかみ取ることはできない。『信仰』と『愛』と共に、キリスト教信者の生き方を表す『希望』は、キリスト教生活の本質に属するからである」と話した。

 聖年のメッセージの特徴は、「希望」そのものに、「与え、捧げ、参加し、希望の具体的なしるしとなる力」を一致させることにある、と同大司教は述べた。

 特に日常的に暴力が見られるこの時代、希望のために全教会と人類が歩む必要があり、それゆえにわたしたちは皆「巡礼者」なのである、と語った。

 「赦し」をめぐり、フィジケッラ大司教は、「聖年とは、わたしたちに与えられた偉大な赦しの告知である」と述べた。

 免償は神の賜物であり、そこには売り買いするものは何もない、神の赦しの経験は獲得するものではなく、歩みを通して恵みとして与えられるもの、とも話した。

 同大司教は、教皇フランシスコの聖年の勅書にあるように、赦しは過去を変えることはないが、未来をより良く生きることを助けてくれる、と強調した。

 フィジケッラ大司教は、聖年が教会にとって福音を皆にもたらすことの素晴らしさと責任を確信する機会となることを願った。

23 8月 2024, 15:22