モンゴル訪問を振り返る、教皇一般謁見
教皇フランシスコは、9月6日、バチカンの聖ペトロ広場で、水曜日恒例の一般謁見を行われた。
先日、モンゴル司牧訪問(2023年8月31日‐9月4日)から戻られたばかりの教皇は、この謁見で同国のカトリック共同体や人々との出会いを語った。
教皇の講話の要旨は次のとおり。
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一昨日、わたしはモンゴル訪問から戻った。わたしの訪問を祈りと共に見守ってくださったすべての方々、またフレルスフ大統領、国賓としての招待状をバチカンにお持ちくださったエンフバヤル元大統領をはじめ、大変手厚くもてなしてくださった当局の方々に深く感謝申し上げたい。
わたしは喜びをもって、モンゴルの教会と、親切と親愛を示してくださった高貴で叡智ある同国の人々を思い起こしている。
なぜ教皇は小さな信者たちの共同体を訪ねるために、これほど遠くまで出かけたのだろう、と思う人がいるかもしれない。それは、スポットライトから離れた場所に、神の現存のしるしを見出すことがよくあるからである。神は舞台の中心ではなく、見えないところで神を求め神を愛する人の素直な心を望まれる。
わたしはモンゴルで、謙遜で喜びに満ちた教会と出会う恵みを得た。そして、モンゴル滞在中の数日間、彼らの喜びを全教会の真ん中で証しすることができた。
モンゴルの教会は感動的な歴史を持っている。30年前、福音への熱意に燃えた宣教者たちがモンゴルへ行き、まだよく知らないその国で言葉を学び、様々な出身国にもかかわらず、一致した、真のカトリック共同体を作り上げた。まさに「カトリック」とは「普遍的」という意味である。しかし、その普遍性とは画一性を意味しない。それは土地の文化に受肉された普遍性である。受肉された普遍性、それがカトリック性なのである。
こうして、生まれたモンゴルの若い教会は、信仰をより良い形で証しする慈愛の業を通して成長した。この訪問の締めくくりに、わたしはモンゴルに地域教会のすべての人々を代表して建てられた「いつくしみの家」の開所式を行った。この家はキリスト教徒たちの一種の名刺代わりになるものだが、それはわたしたちのすべての社会が「いつくしみの家」となるようにとの招きでもある。それは開かれた受容の場、それぞれの貧しさや弱さを抱えた人が気後れなく入ることができ、わたしたちを立ち上がらせ、いやしてくださる神のいつくしみと出会える場である。
わたしはモンゴル滞在中、諸宗教やキリスト教諸教会との出会いを持ったことをうれしく思う。モンゴルは仏教の偉大な伝統を持ち、多くの人たちが、利他主義や禁欲を通して、誠実で徹底したやり方で、自分たちの宗教性を静かに生きている。善を識別し、眼差しを高く上げることは大切なことである。善の識別から出発してこそ、共通の未来が構築され、他者の価値を認めてこそ、互いに成長することができる。
アジアの懐に深く入り、あの偉大な大陸との対話に入り、メッセージを受け取り、その叡智と物の見方を知り、その時間と空間を抱擁できたことは、素晴らしい体験だった。ルーツや伝統を守り、お年寄りを尊重し、環境との調和を生きるモンゴルの人々との出会いは、有益な体験だった。広大で静けさあふれるモンゴルを思いながら、わたしたちの眼差しを広げよう。他者の中にある良いものを見つめ、自らの世界を広げることができるように。