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教皇フランシスコ 2023年10月18日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場 教皇フランシスコ 2023年10月18日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

聖シャルル・ド・フーコーの「柔和さ」の使徒職、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、10月18日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、10月18日、バチカンの聖ペトロ広場で水曜日恒例の一般謁見を行われた。

 謁見中、教皇は「福音宣教の情熱:信者の使徒的熱意」をめぐるカテケーシスで、「使徒的熱意の証し人」をテーマに、聖シャルル・ド・フーコー(1858-1916)の証しを見つめられた。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

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 福音宣教の情熱にあふれたキリストの証し人たちとの出会いを続けよう。今日取り上げたいのは、イエスと兄弟たちを自身の人生の情熱とした人、聖シャルル・ド・フーコーである。彼は深く神を体験することから出発し、自分をすべての人の兄弟と感じるに至るまで変容の歩みを貫いた。

 シャルル・ド・フーコーの人生の「秘密」とは何だろうか。彼は神から遠く離れた生活をおくり、何も信じず、無軌道に享楽を追求していた。彼は告解の中で神の赦しの恵みを受け入れながら、回心した後、信仰を持たない友人に自身の生きる理由をこう書き綴った。「わたしはナザレのイエスに心を奪われました」。

 こうしてシャルルは、福音宣教の最初の一歩とは、イエスを心の中心に置き、イエスに夢中になることであると、わたしたちに思い出させてくれる。そうでなければ、自分の生き方を通してイエスを示すことは難しいだろう。さもなければ、イエスと、イエスの愛、いつくしみではなく、自分や自分が所属するもの、自分なりの道徳やルールについて話すことになりかねない。

 シャルルは、イエスに魅了されることから、イエスに倣うことへと移っていった。聴罪司祭の勧めで聖地を巡礼し、主が生きた場所、歩いた場所を訪れた。特にナザレにおいて、キリストの学び舎を形作る必要を感じた。彼は主との深い関係を生き、福音書を読み耽り、自分をイエスの小さい兄弟のように感じた。イエスを知るに従い、イエスを皆に知らせたいとの思いがわき上がった。わたしたちは皆、イエスをいっそうよく知る時、この宝を分ち合いたいと思うのである。

 聖母のエリザベト訪問のエピソードをめぐり、彼はこのように言った。「自分はこの世にもたらされた…わたしを世界に連れて行ってください」。ではどのように ?  エリザベトを訪問したマリアのように「沈黙のうちに、模範をもって、生き方を通して」。生き方を通してということについて、「わたしたちの全人生は福音を叫ばなくてはならない」からだと彼は書いている。

 シャルル・ド・フーコーは、貧しく隠れた生活の中で、ナザレの精神を生きながら、沈黙のうちに福音を叫ぶために、遠い地方で暮らすことを決意した。そして、サハラ砂漠に行き、キリスト教徒ではない人々のもとに、友として、兄弟として赴き、人々の間にイエス=聖体の柔和を伝えた。シャルルは、イエスが沈黙のうちに働くがままにした。彼は「聖体的生活」が人々を福音化することを確信していた。事実、彼はキリストこそが最高の福音宣教者であると信じていた。こうして彼はイエスの足元で、聖櫃の前で毎日、十何時間も祈った。彼は福音宣教の力はそこにあり、イエスが自分を多くの兄弟姉妹たちのもとに連れて行くのだと強く信じていた。

 シャルル・ド・フーコーは書いた。「すべてのキリスト者は使徒である」。彼は友人にこのように記した。「司祭たちの近くに、司祭たちが見ないことを見ることができる信者たちが必要だ。彼らは慈愛による寄り添い、皆への優しさ、いつでも与えられる愛情をもって福音を宣教する」。シャルルは第2バチカン公会議を先取りし、信徒の重要性を直感し、福音宣教は神の民全体によるものだと理解していた。

 では、わたしたちはどのようにこの福音宣教への参与を強めることができるのか。それは、シャルル・ド・フーコーがしたように、ひざまずき、聖霊の働きを受け入れることを通してである。聖霊は常に、協力と信頼、教会と司牧者との交わりのうちに、関心をもち、出会い、傾聴し、対話するための新しい方法を呼び覚ましてくれる。

 聖シャルル・ド・フーコーは、今日の時代の預言者として、「柔和さ」の使徒職を通して福音を伝える素晴らしさを証しした。彼は自分を「普遍の兄弟」と感じ、すべての人を受け入れ、穏やかさと優しさの福音宣教的な力を示した。神のなさりようが「寄り添い」「あわれみ」「優しさ」であるように、シャルルは温和で優しかった。彼と出会う人が誰でも、彼の善良さを通して、イエスの善良さを知ることができるようにと願っていた。実際、彼は自分自身のことを「わたしよりはるかに善良なお方のしもべ」と言っていた。

 イエスの善良さを生きることで、シャルルは、貧しい人々や、トゥアレグ族、彼のメンタリティーからはまったくかけ離れた人たちと、兄弟的で友好的な絆を築いた。少しずつ、この絆は、兄弟愛、一体性、他者の文化を重んじる態度を生んでいった。善良さとはシンプルさであり、それは微笑みを投げかけることを恐れない、シンプルな人であることを要求する。この微笑みとシンプルさをもって、聖シャルル・ド・フーコーは、決して改宗主義をとることなく、福音を証ししたのである。

18 10月 2023, 18:47

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