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2024年1月1日、教皇フランシスコによる正午の祈りが行われたバチカンの広場 2024年1月1日、教皇フランシスコによる正午の祈りが行われたバチカンの広場  (Vatican Media)

教皇「年の始めに、マリアを見つめよう」

2024年の元日、教皇フランシスコは、お告げの祈りを巡礼者と共に唱えられた。

 カトリック教会は、年の最初の日を「神の母聖マリア」に捧げ、この一年を聖母の保護に託して祈る。

 同時に、この日にはカトリック教会の「世界平和の日」が記念される。

 教皇フランシスコは、1月1日午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「神の母聖マリア」の祭日のミサをとり行われた。

 続いて、正午、広場に集った巡礼者らと共にお告げの祈りを唱えられた。

 この祈りの集いで、教皇は「神の母聖マリア」を観想し、説教を行われた。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 神の母聖マリアを祝う今日、神から賜った新しい時間を聖母の思いやりに満ちた眼差しのもとに託そう。聖母がこの一年間わたしたちを守ってくださいますように。

 今日の福音は、マリアの偉大さをわたしたちに示している。その偉大さは、マリアが特別な何かを成し遂げたことによるのではない。むしろ、天使たちのお告げを聞いた羊飼いたちがベツレヘムへと急ぐ間、聖母は沈黙のうちに留まっていた。

 「聖母の沈黙」、それは神の御業に対する驚きと賛美に満ちた沈黙であった。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2,9)と福音記者ルカは記している。こうして、聖母は沈黙と賛美のうちに、イエスを中心に置き、イエスを救い主として証しした。

 マリアは、イエスを宿し産んだために御母と呼ばれるのではない。それはマリアが自分が場を占めることなく、イエスに光を当てたからである。マリアは十字架の下でも、最も暗い闇の中でも、沈黙のうちに、イエスに光を当て、わたしたちのためにイエスをもたらし続けてくださるだろう。

 詩人でもあったある修道者(David Maria Turoldo 1916-1992)は、おとめマリアを「沈黙のカテドラル」と呼んだ。この沈黙と謙遜をもって、マリアは最初の神の「カテドラル」となり、それは神と人が出会うことのできる場所となった。

 また、わたしたちの母親たちも、その隠れた世話や思いやりを通して、素晴らしい「沈黙のカテドラル」であり続ける。母たちはわたしたちを産み、わたしたちを育てるために、目立たず世話をし続ける。愛は人を窒息させず、その人の居場所を作り、成長を助けるということを忘れてはならない。

 この年の始めに、マリアを見つめよう。そして、感謝の心をもって、母親たちのことを考え、見つめ、沈黙のうちに培われたその愛から学ぼう。その愛は、他者のための場を作り、尊厳を尊重し、自由に表現させ、あらゆる形の所有や蹂躙や暴力を拒む。今日、それがどれだけ必要とされていることか。

 世界平和の日のメッセージは、「人類がエゴイズムや、個人の損得、利益への貪欲、権力欲の誘惑に屈する時、自由と平和的共存は脅かされる」ことを思い出させている。それに対し、愛は尊重と親切から成る。こうして、隔てを無くし、兄弟的絆を生きることを助け、より正義と人間性と平和のある社会を築くことを可能にする。

 神の母にして、わたしたちの御母であるマリアに祈ろう。新年において、わたしたちがこの柔和で、静かで、目立たない、いのちを生む愛のうちに成長し、世界に平和と和解の小径を開くことができますように。

01 1月 2024, 14:07

お告げの祈り(アンジェルスの祈り)は、神の御子の受肉の永遠の神秘を思い起こす祈りです。この祈りは、朝の6時、正午、夕方18時頃の3回唱えられ、その時には、お告げの鐘が鳴らされます。アンジェルスの祈りと呼ばれるのは、ラテン語におけるこの祈りの冒頭の部分、– Angelus Domini nuntiavit Mariae – から採られています。この祈りは、イエス・キリストの受肉について語る3つの簡潔な本文と、3回のアヴェ・マリアの祈りからなります。お告げの祈りは、教皇によって、バチカンの聖ペトロ広場で、日曜日とカトリック典礼暦の祭日の正午に唱えられます。祈りの前に、教皇はその日の聖書朗読箇所などを観想する短い説教を行います、祈りの後には、巡礼者たちへの挨拶が続きます。
復活祭から聖霊降臨までは、お告げの祈りの代わりにアレルヤの祈りが唱えられます。これはイエス・キリストの復活を思い起こす祈りで、祈りの終わりには栄唱(グロリア)を3回唱えます。

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