「福音の種を寛大に信頼をもってまく」教皇、日曜正午の祈り
教皇フランシスコは、6月16日(日)、正午の祈りを巡礼者らと共に唱えられた。
年間第11主日、祈りの前の説教で、教皇はこの日の福音朗読(マルコ4,26-34)イエスが神の国を「成長する種」「からし種」にたとえる箇所を観想された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日の典礼の福音(参照 マルコ4,26-34)は、神の国を「種」のイメージを通して語っている。福音書の中でイエスは何度も「種」のたとえを用いられている(参照 マタイ13,1-23、マルコ4,1-20、ルカ8,4-15)。今日の福音でイエスは、特に「信頼して待つ」という大切な態度について考えるように、わたしたちを招いておられる。
実際、種まきにおいて、農夫が良質な種をたっぷりまいたとしても、土をよく耕したとしても、すぐに芽を出すわけではない。それには時間がかかる。それゆえ、種まきの後で、農夫は、種がタイミングよく開き、土から芽を出し、豊かに実をもたらすように強く育つまで、待つことができなければならない。土の中では、すでに奇跡が起きつつある。それは非常に大きな、しかし目に見えない成長である。ここでは忍耐が要る。表面上は何も起こらないように見えるその間にも、土壌を管理し、水をやり、草取りを続けなければならない。
神の国も同様である。主はわたしたちの中に御言葉の種と恵みというたくさんの良い種を置かれる。そして、わたしたちを見守り続け、忍耐をもって待たれる。主は父の信頼をもって、わたしたちの世話を続けられる。種が開き、育ち、良い業の実を結ぶまで、わたしたちに時間をくださる。それは、ご自身の畑で何も失われることなく、すべてが完全に実りに至ることを、主が願われるからである。主はわたしたち皆が、いっぱいに実った穂のように育つことを望まれる。
それだけではない。主はこうすることによって、わたしたちに模範を示される。わたしたちにも自分のいる場所で信頼をもって福音の種をまくように、そしてその種が育ち、わたしたちや他者の中で実を結ぶのを待つように、そして、努力にも関わらず、すぐに結果が見えなくても、失望することなく、互いに支え、助け合うようにと教えられる。事実、わたしたちの間でも、見た目を超えて、奇跡はすでに始まっており、やがて豊かに実を結ぶだろう。
では、ここで自問しよう。わたしは自分の中に御言葉の種がまかれるようにしているだろうか。そして、わたしは信頼をもって御言葉の種を自分が暮らす場所にまいているだろうか。結果がすぐに見えなくても、忍耐強く待つことができるだろうか、それともすぐに失望するだろうか。福音を告げるために自分のベストを尽くしたとしても、すべてを安心して主にお任せすることができるだろうか。
御言葉の種をご自分の中に受け入れ、育てられたおとめマリアよ、わたしたちが福音の種を寛大に信頼をもってまくことができるようお助けください。