検索

Cookie Policy
The portal Vatican News uses technical or similar cookies to make navigation easier and guarantee the use of the services. Furthermore, technical and analysis cookies from third parties may be used. If you want to know more click here. By closing this banner you consent to the use of cookies.
I AGREE
教皇フランシスコ 2024年10月30日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場 教皇フランシスコ 2024年10月30日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

聖霊の秘跡としての堅信を考える、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、10月30日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、10月30日(水)、バチカンの聖ペトロ広場で一般謁見を行われた。

 謁見中の「聖霊と花嫁。聖霊は神の民をわたしたちの希望イエスとの出会いへと導く」を主題とするカテケーシスで、教皇は「堅信、聖霊の秘跡」をテーマに話された。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

**********

 今日も、秘跡を通して、教会生活の中に存在し、働く、聖霊についての考察を続けよう。

 聖霊の聖化する働きは、何よりも神の御言葉と秘跡という、この2つの経路を介してわたしたちにもたらされる。すべての秘跡の中でも、聖霊の秘跡との別名を持つ、堅信の秘跡について考えたい。

 新約聖書には、水による洗礼のほかに、別の儀式として、按手が記されている。これは、聖霊降臨の際に使徒たちにもたらされたのと同様の効果をもって、超自然的な、かつ目に見える形で、聖霊を伝えるものである。

 この点について、使徒言行録に重要なエピソードが記されている。サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞いたエルサレムの使徒たちは、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。

 「二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」(使徒言行録8,14-17)。

 これに、聖パウロの「コリントの信徒への手紙2」の言葉を加えることができる。「わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に”霊”を与えてくださいました」(2コリント1,21-22)。

 キリストがご自分の羊たちに押される、「王の印」としての聖霊の主題は、この儀式が与える「消えない性格」の教義の基礎となっている。

 時代の流れとともに、塗油の儀式は、様々な時代や教会の儀式において、異なる形や内容を帯びながら、別個の秘跡として形作られていった。しかし、その大変複雑な歴史をたどることはここでは割愛しよう。

 教会は堅信の秘跡をどのように理解しているか、それはイタリア司教協議会の『成人のためのカテキズム』に、簡潔かつ明確に記されているように思われる。

 そこにはこうある。「聖霊降臨が教会全体に意味したことは、堅信がすべての信者に意味することと同じである。[…]。それは、洗礼によってキリストと教会に組み入れられること、預言者的、王的、祭司的使命に奉献されることを強めるものである[…]。堅信は聖霊の賜物の豊かさを伝える[…]。洗礼が誕生の秘跡ならば、堅信は成長の秘跡である。同様に、堅信は、証しの秘跡でもある。なぜなら、それはキリスト者としての成熟と密接に結びついているからである」。

 問題は、堅信の秘跡が、実際には一種の「終油」の秘跡、すなわち教会からの「旅立ち」の秘跡のように解釈されることなく、むしろ、教会のいのちへの積極的な参加の始まりの秘跡となるにはどうすべきか、ということである。

 今日の教会のあちらこちらで見られる状況を思えば、それは不可能に見えるかもしれない。しかし、だからといってその目標の追求をあきらめてはならない。すべての受堅者にとって、必ずしもそうなるわけではないかもしれない。しかし、少なくとも一部の人にとってはそのようになり、やがてこれらの人々が共同体を活性化する存在になっていくことが重要である。

 そのためには、キリストとの個人的な出会いを経験し、聖霊を真に体験した信徒に、堅信の秘跡の準備を助けてもらうことが役立つかもしれない。まだ若い頃に受けた堅信の秘跡が、自分の中で次第に花開くのを体験したという人々もいる。

 しかし、これは将来、堅信の秘跡を受ける人だけに限らない。わたしたち皆に、あらゆる時期に関係することである。堅信と塗油と共に、わたしたちは聖霊の「手つけ金」も受け取っている。これは、「霊の初穂」(ローマ8,23)と呼ばれているものである。わたしたちはこの手つけ金を「使い」、この初穂を享受しなければならない。受け取ったカリスマと才能を土の下に埋めてはならない。

 聖パウロは弟子のテモテに、「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように」(2テモテ1,6)と勧めている。ここでパウロが使った動詞は、誰かが火に息を吹きかけて炎を復活させる様子を連想させる。聖年の素晴らしい目標がここにある。慣れと無関心の灰を振り払い、オリンピックの聖火ランナーのように、聖霊の炎の担い手となることである。わたしたちがこの方向に歩み出せるよう、聖霊が助けてくださいますように!

 

30 10月 2024, 18:46

最新の謁見

すべて読む >
Prev
April 2025
SuMoTuWeThFrSa
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
Next
May 2025
SuMoTuWeThFrSa
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031