「神への愛と隣人への愛」イエスが示す最も重要な掟、教皇、日曜正午の祈り
教皇フランシスコは、11月3日(日)、バチカンでお告げの祈りの集いを行われた。
年間第31主日、教皇は説教で、この日の福音朗読箇所、マルコ福音書12章中の、最も重要な掟とはどれかという問いにイエスが答えられる場面(マルコ12,28b-34)を取り上げられた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日の典礼の福音(マルコ12,28b-34)は、イエスがエルサレムの神殿で行った多くの議論の一つについて語っている。一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(同12,28)。イエスはこれに対し、モーセの律法の基本的な二つの言葉を合わせて、「あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」(参照 同12,30-31)と答えられた。
この問いを通して、律法学者は「第一の掟」、すなわちすべての掟の基礎となる一つの原理を求めていた。ユダヤ人たちは多くの掟を持っており、その中でも何が一番本質的なものであるか、真理を求めて議論していたのである。
こうした問いは、わたしたち自身、われわれの生活と信仰の歩みにとっても、欠かせないものである。実際、わたしたちは多くの物事の中で自分を見失いがちである。そして、これらすべての中で何が一番大切なのか、自分の人生の中心にあるものは何なのかを自らに問うことになる。
そして、イエスは二つの本質的な掟を一致させ、「あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」とわたしたちに答えられる。
わたしたちは皆、人生と信仰の「心」に立ちかえる必要がある。なぜなら心は「他のすべての力の源泉、根源だからである」(回勅『ディレクシット・ノス』 9)。そして、イエスは、すべての源泉とは愛であり、その愛ゆえに、わたしたちは神と人を決して切り離すことはできない、と言われる。
主はあらゆる時代の弟子たちに、人生で重要なのは、「焼き尽くす献げ物やいけにえ」(参照 マルコ12,33)のような外見の実践ではなく、愛において神と兄弟に開いた心であると言われる。わたしたちは多くのことをしても、それが自分のためだけであったり、愛を伴わなかったり、うわの空の心や閉じた心であったりする。
主が来られる時、わたしたちに何よりも愛についてお尋ねになるだろう。わたしたちがいかに愛したか、と。それゆえ、わたしたちは最も重要な掟を心に留めなくてはならない。それは、「神を愛し、また隣人を自分のように愛する」という掟である。
日々、良心の糾明を行い、自問しよう。神への愛と隣人への愛は自分の人生の中心をなしているだろうか。わたしの神への祈りは、わたしを兄弟たちに向かわせ、彼らを無償で愛するように促しているだろうか。人々の顔の中に主の存在を見出しているだろうか。
おとめマリアよ、神の掟を汚れなきみ心に刻まれた方、わたしたちが主と兄弟たちを愛することができるようお助けください。