教皇「人類の最も暗い夜にも光の窓を開けられる神」
教皇フランシスコは、1月5日(日)、バチカンでお告げの祈りの集いを行われた。
現在、ローマは、クリスマスから、新年を迎え、主の公現の祭日(1月6日※日本の教会では今年は1月5日)へと続く、祝祭的な雰囲気の中にある。
今年最初の日曜日、時折小雨の降る空模様にも関わらず、バチカンは多くの家族連れの市民や巡礼者たちでにぎわった。
降誕節第二主日にあたるこの日、教皇は集いの説教で、「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る、ヨハネ福音書の冒頭部分(参照 ヨハネ1,1-18)を観想。わたしたち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけ、わたしたちの歩みを照らし続ける神の愛を強調された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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「言(ことば)は肉となった」とイエスについて語る今日の福音(参照 ヨハネ1,1-18)は、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(同1,5)と述べている。これは、神の愛は強く、何ものにも打ち勝ち、妨げや拒絶にも関わらず、わたしたちの歩みを照らし続けることを思い出させている。
わたしたちはそれを主の降誕に、人となられた神の御子が多くの壁と分裂を克服する時に、それを見ることができる。
イエスは、当時の「偉大な」人たちの、神を求めるよりも自分の権力の維持を案ずる、閉ざされた心と考えに直面した(参照 マタイ2,3-18)。御子は、限られた可能性と不便さの中で、ご自分を受け入れ愛情をもって育ててくれたマリアとヨセフと、つつましい生活を分かち合った。か弱く無防備な御子は、羊飼いたちとの出会いに自らを差し出した。羊飼いたちは、人生の厳しさと社会からの軽蔑に傷ついた心を持っていた。そして、幼子イエスは東方三博士たちと出会う。彼らはユダヤ人の王として生まれた幼子に会う情熱のために長い旅に出て、ついに貧しい庶民の家の中にイエスを見つけたのである。
このような、また他の多くの挑戦を前に、神はとどまることはない。神は、損得計算なく、無条件に、すべての人、わたしたち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけられる。神は、人類の最も暗い夜でさえも、光の窓を開けられ、その光を闇が覆うことはない(参照 イザヤ9,1-6)。
これは特に、光と、希望、平和を大いに必要とし、人類が複雑な状況を作り出し、そこから抜け出せないように思われる今日、わたしたちをなぐさめ、力づける現実である。
今日、神の御言葉は、この神の愛に倣うようにとわたしたちを招いている。家庭、社会、国際的場面など、自分が置かれた場所で、出会うあらゆる人に、一筋の光をもたらすようにと呼びかける。恐れず最初の一歩を踏み出し、苦しむ人への寄り添い、ゆるし、あわれみ、和解といった、明るい窓を開け放ち、皆の歩みを照らし確かなものとするようにと呼んでいる。
この招きは、特に始まったばかりの聖年に響き渡る。いのちに「はい」と答え、いのちをもたらすことを選びながら、希望のメッセンジャーとなるようにとわたしたちを促している。皆でこれを実行しよう。これが救いへの道である。
さあ、年の初めに自問しよう。自分が置かれた環境や人間関係の中で、どのような方法で、光の窓を開けることができるだろうか。どんな場所で、神の愛を伝える光となれるだろうか。
イエスに導く星であるマリアよ、すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなれるよう、どうかわたしたちをお助けください。