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教皇フランシスコ 2021年10月6日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 教皇フランシスコ 2021年10月6日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 

「わたしたちを自由にするキリスト」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、10月6日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、10月6日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

 謁見中のカテケーシスで、教皇は「ガラテヤの信徒への手紙」をめぐり「わたしたちを自由にするキリスト」をテーマに講話された。

 「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。[…] この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。」(ガラテヤ4,4-5; 5,1)

 使徒パウロのこの言葉を示された教皇は、聖パウロは、キリスト者は洗礼によって受け取った自由に固くとどまり、「奴隷の軛(くびき)」に二度とつながれることがないように呼びかけている、と話された。

 そして、この自由を大切なものと認識するパウロは、「偽の兄弟たち」が「わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由をつけねらい、こっそり入り込んで」くること(参照 同2,4)を警戒していた、と述べられた。

 キリストにおける自由を妨げるような説教は決して福音とはいえない、と述べた教皇は、わたしたちを自由にするキリストの名において、誰にも奴隷の状態を強いることはできない、と語られた。

 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8,31-32)とイエスが言われるように、わたしたちを自由にする真理の源イエスにとどまるようパウロは招いている、と教皇は話した。

 教皇は、キリスト者の自由は、「主イエスの恵み」と「キリストが啓示し、キリストご自身である真理」の二つの柱を基礎に成り立っていると説明。

 「主の恵み」について、教皇は、ガラテヤの信徒たちや、わたしたちが洗礼を通して受け取った自由は、イエスの死と復活のいわば実りであり、イエスからのみ、聖霊による新しいいのちの実がもたらされる、と話された。

 罪への隷属からの真の自由は、キリストの十字架からわき出でる。十字架というキリストがすべての自由をはぎ取られた場所、すなわちキリストの死が、人間の真の自由の源泉となったことは、神の愛の驚くべき神秘である、と教皇は語った。

 「わたしはキリストと共に十字架につけられています」(ガラテヤ2,19)と大胆に記すパウロは、この神の愛の神秘を身をもって体験した人であり、十字架におけるキリストとのこの究極の一致を通してこそ「自由」という最も大きな恵みを得ることができると知っていた、と教皇は語った。

 キリスト者の自由のもう一つの柱である「真理」について、教皇は、キリスト教信仰の真理は抽象的な論理ではなく、生活の中でじかに触れる生けるキリストの現実そのものであることを忘れてはならない、と強調。

 真理は人を自由にし、その生き方を変容し、善へと向かわせる。真に自由であるためには、自分を知るだけでなく、自分の中でその真理を具体化する必要があり、そうしてこそ、キリストの恵みに自分を開くことができる、と話された。

 真理はわたしたちを揺さぶり、わたしたちは自己の内面を深く問いただし続ける必要がある、と教皇は指摘。

 真理と自由の歩みは一生続き、その道は決して容易ではないが、十字架からくる愛に導かれ、支えられつつ、喜びと幸いにつながるこの道を歩んでいこう、と信者らを招かれた。

06 10月 2021, 15:37

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