マルセイユ司牧訪問を振り返る、教皇一般謁見
フランシスコは、9月27日(水)、バチカンの聖ペトロ広場で、水曜恒例の一般謁見を行われた。
この謁見で、教皇は先日9月22日と23日に行われたフランスのマルセイユへの司牧訪問を振り返った。
教皇の講話の要旨は次のとおり。
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先週末、わたしは地中海をテーマにしたミーティング「ランコントル・メディテラネンヌ」に出席するためマルセイユを訪れた。この催しは、地中海地域の司教や市長らと共に、未来に眼差しを向けるために、多くの若者たちの参加を得て行われた。「希望のモザイク」と題されたこのミーティングが示した夢と挑戦は、地中海が文明と平和の工房としての召命を取り戻すことにあった。
地中海は文明といのちのゆりかごである。それが墓場となることも、紛争の場となることも許されてはならない。地中海は、文明間の衝突と戦争、人身取引の場とは、ほど遠い場なのである。なぜならば、地中海は、アフリカとアジアとヨーロッパを、東洋と西洋を、人と文化、民族と言語、哲学と宗教を結んできた。
もちろん、海は常にある意味超えるべき深淵であり、危険なものにもなり得る。しかし、海の水は貴重な生命を擁し、その波と風はあらゆる種類の船を運んでいった。
地中海の東の岸から、2千年前、イエス・キリストの福音が旅立って行った。福音宣教は、魔法のようにすぐに各地に広がったわけではない。それは時代のしるしを読みながら、自分たちに託された区間を進んだ、あらゆる世代の歩みの実りであった。
マルセイユでの集いは、イタリアのバーリ(2020年)とフィレンツェ(2022年)で開催された同様のイベントに続くものであった。これらの集いは、1950年代、フィレンツェのジョルジョ・ラ・ピーラ市長が企画した「地中海の対話」という催しに端を発している。そして、聖パウロ6世が回勅『ポプロルム・プログレッシオ』の中で述べた、「すべての人にとってより人間的な世界、ある人々の発展が他の人々の発展を妨げることのない、誰もが何かを与え受け取ることができる世界」(n.44)を推進すべき、というアピールに答えるものである。
マルセイユのミーティングで得たものは何であったか。それは、イデオロギーや戦略ではなく、人間とその不可侵な人権を第一に据えた、地中海をめぐる「人間的な」眼差しである。
また、この集いから生まれたものは、「希望」の眼差しである。非人間的な状況をくぐった人たち、あるいはその状況を分かち合った人たちの証言に耳を傾ける時、まさにこれらの人々から「希望の宣言」とも呼ぶべきものを受け取ることは、驚くべきことである。それは同時に、「兄弟愛」の眼差しでもあった。
この希望と兄弟愛の眼差しを一時的なものにせず、中期・長期の視点をもって具体的な行動に変えなくてはならない。人が完全な尊厳のうちに、移住するか、しないかを選びとれるよう、地中海が希望のメッセージになるよう、わたしたちは努力しなければならない。
このミーティングでは、全体のビジョンを完成させるもう一つの視点も生まれた。それは、若い世代をはじめとする、ヨーロッパ社会に、希望を再び与える必要である。実際、自分たちに未来無くして、どうして他者を受け入れることができるだろうか。希望もなく、私的な世界に閉じこもった若者たちは、どのように出会いと分かち合いに自らを開くことができるだろうか。個人主義や消費主義に病んだわたしたちの社会は、自らを開き、魂と精神に酸素を与える必要がある。このような視点から、危機を一つのチャンスとして捉えることで、それに前向きに対応することができるのではないだろうか。
ヨーロッパは情熱を必要としている。そして、わたしはそれをマルセイユで、司教や、司祭、修道者、信者らの中に見たと言える。このイベントに対するフランス全体の関心を証ししてくださった大統領をはじめ、すべての方々に感謝を申し上げたい。地中海地域が文明と希望のモザイクとなるために、人々の歩みを聖母が見守ってくださいますように。